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Bible Story 16
タイトル:ヤコブとラバン
聖書箇所:創世記29章1節-30章24節
何ということを私になさったのですか。私があなたに仕えたのは、ラケルのためではなかったのですか。なぜ、私をだましたのですか。
創世記29章25節
The Story
兄エサウから祝福を奪い、家から逃げ出したヤコブは、ようやく母リベカの兄ラバンの家にたどり着きました。事情を知ったラバンは、甥のヤコブを温かく迎え入れました。
ヤコブは、ラバンの家に1か月間滞在し、彼のもとで働きました。ラバンには、レアとラケルという、ふたりの娘がいました。下の娘ラケルは、とても美しい女性で、ヤコブは彼女のことを愛するようになりました。

ある日、ラバンはヤコブに言いました。「親戚だからといって、ただで私に仕えることはありません。どんな報酬がほしいか言ってください。」ヤコブはラバンに答えました。「7年間働く代わりに、ラケルを妻にください。」ラバンは、ヤコブの願いを聞き入れ、そうすることを約束しました。
ヤコブはラケルを心から愛していたので、毎日一生懸命働きました。あっという間に7年が過ぎ、ついにヤコブがラケルを妻として迎え入れる日が来ました。ラバンは祝宴を催し、盛大に祝いました。けれども、夜になると、ラバンはラケルではなく、上の娘レアをヤコブのもとに行かせました。
朝になって、ヤコブが彼女を見ると、それはラケルではなくレアでした。ヤコブはラバンに怒りました。「私があなたに仕えたのはラケルのためだったのに、なぜ私を騙したのですか。」ラバンは、「ラケルもあなたにあげます。その代わり、もう7年、私に仕えなさい。」こうして、ヤコブはラケルとも結婚し、さらに7年の間ラバンのもとで働きました。

レアは次々に4人の男の子を産みましたが、ラケルは子どもが与えられませんでした。それで、ラケルは姉に嫉妬し、自分の女奴隷によって子どもを得ました。レアも自分の女奴隷によってさらに子どもを得ました。長い歳月の末、ついにラケルも男の子を産みました。
結局、ヤコブには全部で12人の息子が与えられましたが、家庭はいつも争いが絶えませんでした。
The Lesson
Point: 神様に希望を見出す
ヤコブはハランに20年間住み、叔父のラバンのもとで働いた。彼が、父を欺いて兄から祝福を奪ったのと同じように、叔父のラバンに欺かれ、希望しない妻を強制された。(「聖書ハンドブック」ヘンリー・H・ハーレイ著/p.102参照)。花嫁が花婿に与えられるときは、ベールをかぶるのが習慣だったようである。父の目の暗さに付け込んで父を騙したヤコブは、夜の暗さに乗じてラバンに騙された。ラバンは、ヤコブを少しでも長く自分に仕えさせるために、まずレアと結婚させ、それからラケルを与えたものと思われる(「実用聖書注解」いのちのことば社/p.126参照)。
By Grace「状況に恵まれなくても」

私たち夫婦は、今月で4回目の結婚記念日を迎えます。夫婦として一緒に歩む中で、最初はごつごつと角ばっていたものが、飛んだり跳ねたり転がったりして進むうちに、滑らかなまるいひとつとして、少しずつ整えられてきたように思います。お互いに愛を注ぎながら育ててきた「結婚」という神様の作品が、これからも長い歳月をかけて、美しく彩られてゆくように、自分を捧げてゆきたいと願っています。

もし、夫から愛を受けることができなかったら、結婚は悲劇です。妹を愛している男性と結婚させられたレアの気持ちを考えるとき、それはどれほどの苦しみだっただろうと心が痛みます。喜びは静まり返り、心は枯れ、恨みや妬みでいっぱいになってもおかしくはない状況だったでしょう。
けれども、レアは、自己憐憫に陥って人生を無駄にすることはありませんでした。神様はレアを憐れみ、6人の息子を与えて下さいました。彼女は神様に希望を見出し、神様の愛に応えて生きていました。彼女の喜びは、子どもたちに付けた名前に表れています。レアは、神様が与えて下さった子どもたち一人ひとりに、神様への感謝と信頼を込めて名前を付けたのでした。

父親に利用され、夫には愛されなかったレアの生きる原動力は、神様から注がれる愛にありました。レアは、状況には恵まれませんでしたが、神様からの特別な愛を注がれた女性でした。救い主イエス・キリストは、レアの子どもユダの子孫として誕生しました。
自分が悪いわけではないのに、酷い状況に置かれるとき、誰かを責めたり投げやりになったりする権利が自分にはあると思うことがあります。怒りという感情で自分の傷ついた心を守ろうとすることもあります。けれども、それは問題の本質を解決するものではありません。終わりのない戦いを続け、敗北を繰り返すだけです。広がった傷口はさらに深く膿み、痛みは深刻さを増してゆきます。

神様はレアの状況をご存じで、必要な恵みを与えることのできるお方でした。理不尽な目にあって負わされた傷が、たとえどんなに深くても、神様は完全に癒すことができます。絶望の淵に立たされたとしても、そこに希望の梯子を立てて下さるお方です。
Application:レアのように、たとえ人生が悩みの雲に覆われたとしても、ずっとずっと先に、素晴らしい祝福があると信じて、今の困難を乗り越える力を、神様から頂くことができますように。
私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。
詩篇121篇1節
