14. エサウとヤコブ

archer

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Bible Story 14

タイトル:エサウとヤコブ
聖書箇所:創世記25章19節-34節

この子どもたちが成長したとき、エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた。

創世記25章27節

The Story

イサクがリベカと結婚したとき、イサクは40歳になっていました。ふたりには子どもがなかなか与えられませんでした。イサクは、子どもが与えられることを願って、神様に祈りました。「神様、どうか子どもをお与えください…!」

twin babies

イサクとリベカは長い間、神様が働かれるのを待ちました。20年の歳月が経ち、神様はようやくリベカのお腹の中に2つの命をお与えになりました。神様から授かった子どもは、双子の男の子でした。

最初に産まれてきた子どもは、とても毛深く、次に生まれてきた子どもは兄のかかとを掴んでいました。兄はエサウ、弟はヤコブと名付けられました。エサウは元気いっぱい野原を駆け回る男の子でしたが、ヤコブは家の中でおとなしく過ごす男の子でした。

lentil soup

ふたりは成長し大人になりました。ある日、エサウが猟から帰ると、美味しそうな匂いが家中に漂っていました。ヤコブが作った、レンズ豆のスープの良い匂いでした。お腹を空かせていたエサウは、今すぐにそのスープを食べたくて、どうしても我慢できなくなりました。「今すぐそのスープを食べさせてくれ…!」エサウがヤコブに頼むと、ヤコブはこう提案しました。「このスープとあなたの長子の権利を交換しよう!」

お腹がぺこぺこだったエサウは、よく考えずに提案を受け入れました。欲に支配された心は、冷静に考える思考を失っていました。今のエサウにとっては、長子の権利よりも空腹を満たす方が大事だったのです。こうしてエサウは長子の権利を軽んじ、たった一杯のスープと交換してしまいました。

The Lesson

Point:永遠の目で物事を見る

長子の権利とは、へブル人の家庭で長男が持っていた特別の権利。父親が死んだとき、長男は、父の全財産のうちから、他の兄弟の2倍を受けた。彼はまた、家族全体にかかわる決断をする権利があった。エサウは一杯のスープと引き換えに、その長子の権利をヤコブに売り渡した(早わかり聖書ガイドブック/フランシス・ブランケンベイカー著/p.347引用)。

path through the forest

ヤコブは「穏やかな人」(27節)となったと聖書に記されている。「穏やか」という言葉は、「完全である、欠けがない」の意の語源から派生していて、類義語では「直ぐな」「正しい」などがあり、反意語として「悪」「悪者」などが考えられる。したがって、ただ単に「物静かな人」というのではなく「神の前でも人の前でも心の定まった人」という意味だと理解できる。それに対し、ほんの一時の空腹のために長子の権利を軽蔑したことに、エサウの人柄が集約されている(「実用聖書注解」/いのちのことば社/p.123参照)。

By Grace「永遠への備え」

suitcase with a pile of books on top

最近、私たち夫婦は、将来のための貯蓄を現実的に考え始めました。消費と投資の割合は、どの程度が妥当なのか知りたくて、ファイナンシャルプランナーの方が書いた本を読んでみました。正しいお金の使い方について、基本的なことも含め、たくさんのアドバイスが書かれていました。

money and house

その中に、「クレジットカードの利用はあくまで借金なのに、借金だと思っていない人が多すぎる」「お金を使うことの抑制が効かなくなると、人は簡単に多重債務に陥っていく」という指摘がありました。抑制が効かない状態というのは、金銭的な問題だけに留まらない、生活全般に共通する深刻な問題です。

「今すぐに欲しい!」「どうしても欲しい!」抑制が効かない人の心は自分ではどうにもできない何かに支配されてしまっています。自分の心を管理できなければ、人生という限られた時間も管理できません。今、目の前にあるものにばかり心を囚われ、永遠の目で価値を測ることができなくなります。自分の欲望を自制できず、誘惑されるがままに行動していれば、どんな愚かな判断も、愚かだとわからなくなってしまいます。ちょうど、エサウがたった一杯のスープと引き換えに、長子の権利を売ってしまったように。

boy looking into the telescope

健全な思考を失うと、人は近視眼的に物事を見るようになり、「今さえ良ければそれで良い!」という思いに駆られ、正しい価値観を失ってゆきます。そして、手にしていたはずの本当に価値あるもの一つひとつが、指の間をすり抜けるようにして落ちてゆくのです。もし、永遠の目で物事を見ることができたなら、エサウもきっと、一杯のスープで永遠にお腹を満たすことはできないと気づくことができたでしょう。そして、手にしていたはずの大切な権利を失いはしなかったでしょう。

また、永遠の目で見るとき、地上の人生が終わったあとのことにも、備える必要が見えてきます。地上で生きる、将来の貯蓄ももちろん大切ですが、その先の備えはもっと大切です。なぜなら、人生は80年ほどで終わりますが、その先は永遠に続くからです。

私自身、近視眼的な歩みによって人生を浪費してはいないかな、地上での人生が終わったあと、天国へ行く備えはじゅうぶんできているかなと、改めて考えさせられました。

Application:永遠の目で見て今を捉え、どうすべきか考えます!

自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。

マタイの福音書6章20節
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